基本情報
氏名 | 小川 一成 |
生年月日 | 1947年9月20日 |
最終学歴 | 明治大学公共政策大学院 修了 卒業論文: つくばエクスプレスの開業と沿線開発の現況と課題 |
役職
第107代茨城県議会議長 |
ボーイスカウト守谷第一団 団委員長 |
茨城県青年海外協力隊を育てる会 会長 |
取手地区交通安全協会 会長 |
守谷市国際交流協会 会長 |
守谷市商工会 会長 |
茨城県商工会連合会 会長 |
略歴
2018 | 平成30年 | 茨城県議会議員7期当選 |
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2015 | 平成27年 | 第107代茨城県議会議長に就任 |
2015 | 平成27年 | 茨城県監査委員 |
2014 | 平成26年 | 茨城県議会議員6期当選 |
2014 | 平成26年 | 茨城県自由民主党 政務調査会長 |
2013 | 平成25年 | 通学児童生徒の安全確保の調査特別委員会 委員長 |
2012 | 平成24年 | 茨城県議会議員補選当選 5期 |
2011 | 平成23年 | 明治大学公共政策大学院修了 |
2009 | 平成21年 | 明治大学公共政策大学院入学 |
2008 | 平成20年 | 守谷市長選に惜敗 |
2008 | 平成20年 | 守谷市長選挙のため茨城県議会議員辞職 |
2007 | 平成19年 | 第101代茨城県議会副議長に就任 |
2006 | 平成18年 | 茨城県議会議員4期当選 |
2002 | 平成14年 | 茨城県議会議員3期当選 |
1998 | 平成10年 | 茨城県議会議員2期当選 |
1994 | 平成6年 | 茨城県議会議員初当選 |
1992 | 平成4年 | 守谷町議会議員2期当選 |
1990 | 平成2年 | 茨城県立水海道第一高等学校PTA会長 |
1989 | 昭和64年 | 守谷市立愛宕中学校PTA会長 |
1988 | 昭和63年 | 守谷町議会議員初当選 |
1986 | 昭和61年 | 守谷市立高野小学校PTA会長 |
1972 | 昭和47年 | 小川交通 有限会社を起業(25歳) |
1971 | 昭和46年 | 明治学院大学経済学部 卒業 |
1967 | 昭和42年 | 大学を1年間休学して、ヒッチハイクで世界50カ国以上を旅する |
1966 | 昭和41年 | 明治学院大学経済学部 入学 |
1966 | 昭和41年 | 茨城県立水海道第一高等学校 卒業 |
1963 | 昭和38年 | 守谷町立守谷中学校 卒業 |
1960 | 昭和35年 | 守谷町立高野小学校 卒業 |
1947 | 昭和22年 | 守谷町(現・守谷市)に生まれる |
メンヒに登頂
ヨーロッパの三大北壁と呼ばれる山々に、学生時代からあこがれ続けマッターホルン登頂に挑戦。日本を発つ直前に右手薬指を骨折し、マッターホルン登頂は断念したものの、アイガーのすぐわきにそびえ立つスイスの標高4千メートル級の山「メンヒ」(標高4,107メートル)の登頂に成功。
キルギスで60km完走
1995年(平成7年)8月に中央アジア・キルギス共和国で開催された 「第1回 国際騎馬マラソン」に参加。60kmのコースを4時間20分で完走しました。
62歳の大学院生
20年間、政治の世界に身を置いてきた私の心に、 政治を学問の切り口で学びたいという気持ちが芽生え始めました。同時に『師となる人物に出逢いたい』という想いもあり、 62歳にして再び入学試験にチャレンジいたしました。
試験内容は論文と面接。 論文のテーマは「これまで何を学び、この大学院でどう展開したいか」。 主題として、最も印象に残っている『阪神淡路大震災での学び』を取り上げ、 現地でのボランティア活動の経験から痛感したことを、論文に書きました。
入学の後、大学院では公共政策を専攻。 最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。 授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、 様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。 議論に答えはありません。 それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。 時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、 毎日が『白熱授業』でした。
また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。 私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。 物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など 大きな影響を受けました。 大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。 更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。
2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。