小川 一成

海外旅行創生期

横浜の大桟橋は船上の旅立つ人と、見送り人のテープが投げられ最後の別れを惜しんでいました。

ゆっくりとナホトカ号が岸を離れ最後のテープが切れた時、私はこれから1年に及ぶ長い旅に思いを馳せていました。

弱冠19歳。青春真っ只中でした。

過日の産經新聞に興味深い記事がありました。

海外旅行創生期「制約だらけの高根の花」。

S39年4月1日、日本人の海外渡航が「年1回、外貨持ち出し500ドルまで」の制限付きで自由化された。

JALの世界一周の第1便が初めて飛んだのが、S42年3月6日。

その年の5月、大学2年になった私は1年間大学を休学して、虎の子の500ドルを握りしめ、横浜からソ連のナホトカに向いヒッチハイクでヨーロッパ、アフリカ、中近東、東南アジアへ冒険の旅に出た。

この時、弱冠19歳。

この1年におよぶ旅こそ、私のその後の人生を決定づける旅であった。

日本国からの出国を証する

1967年5月19日

出国港 YOKOHAMA

海外旅行創生期の写真 1
海外旅行創生期の写真 2
海外旅行創生期の写真 3

この話を、お友達に教えてください。

2019年の記事をすべてみる