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1947年 守谷に生まれて
子どもの頃は、冒険家になることが夢でした。
19歳のパスポート。1967年4月18日に発行されました -
1967年5月19日 横浜
500ドルを握りしめて。
出国は1967年5月19日、横浜。帰国は翌年4月4日、神戸 大学2年の春、1年間休学して日本を飛び出しました。海外への持ち出しは500ドルまでの時代。横浜から船でソ連のナホトカへ渡りました。
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シベリア鉄道
シベリア鉄道で、西へ。
「シベリア鉄道は私の忘れられない青春のひとこまである」。2018年、終着駅ウラジオストクを訪ねて ハバロフスクからシベリア鉄道でモスクワへ。レニングラードを経てヘルシンキへ。そこから、ヒッチハイクの旅が始まりました。
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1967年〜1968年
1年をかけて、50か国以上。
ヒッチハイクの旅の足跡(1967年5月〜1968年4月) 北欧からヨーロッパへ。ジブラルタル海峡を渡ってアフリカへ。シルクロードをたどり、砂漠を越えてインドへ。そして東南アジアを回り、日本へ戻りました。
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スウェーデン ストロムスンド
行く先々で受けた親切は、今も私の宝物です。
シーモンソン氏が、旅の日記帳に描いてくれた家族の似顔絵
58年ぶりに、シーモンソン一家を訪ねて(スウェーデン) お金のない旅でした。中部スウェーデンの小さな町では、シーモンソン一家と暮らしを共にし、一家のスーパーマーケットで働かせてもらいました。ここで働けたから、1年の旅を続けることができました。
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旅から帰って
今度は、私がお返しをする番だ。
茨城県青年海外協力隊を育てる会として、JICA理事長表彰を受けて(2013年) 旅先で受けた親切に、今度は私がお返しをしなければならない。そう心に誓った旅でもありました。
守谷に国際交流協会を立ち上げ、青年海外協力隊を育てる会で若い隊員たちを送り出してきたのも、この旅があったからです。
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旅が、決めたこと
学生の時に世界を旅することがなかったら、私は政治家にはなっていなかったかもしれません。
世界を旅すると、人生観も国家観も変わります。あの1年の旅こそ私の青春そのものであり、その後の人生を決定づけた旅でした。
政治は弱い者の側に立たなければならない。
それは弱い者が政治を必要としているからです。