正しい歴史を知らなければならない
日本人は歴史を正しく知らなければならない。
多くの公教育の中で正しい歴史をどれだけ教えているのだろうか?
私も正しい歴史を教わった記憶がない。
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藤井勝
今日は何の日 5月3日 昭和21(1946)年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。
この「裁判」を一言で簡単に説明するとすれば「戦勝国による復讐の儀式、茶番劇、インチキ劇、リンチ」あたりの表現が最適で、詳しく学ぶ時間のない人はそう覚えておけば世間で赤っ恥をかくことはない。
法的根拠がどこの国の法律、国際法に照らしても皆無というお笑い劇だった。
このお笑い劇で戦勝国が狙ったのは「復讐」「日本人の洗脳」「白人のアジア侵略の歴史の帳消し」の3つである。この茶番劇(裁判)は昭和21年(1946)5月3日に開廷され、昭和23年(1948)11月12日に判決が申し渡されるまで2年6ヶ月もの歳月を要した(ドイツでの茶番劇ニュルンベルク裁判は10ヶ月だった)。
検察側の起訴状の内容は、「東條英機元首相以下28人の戦犯は共同謀議を行っていた。目的は侵略による世界支配である。その目的を果たすために通常の戦争犯罪のほかに、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」を犯した」とするもの。「日本は世界征服をたくらみ、アジア各国を侵略していった」というのだ。
「A級戦犯」が起訴されたのは昭和21年4月29日、昭和天皇の誕生日だった。このことからも戦勝国による執念深い復讐劇だったことがわかる。
この「裁判」に検事と弁護人がいたことは救いだった。これにより公正の歴史を調べる人間にとって大変貴重な資料が残ることになったからである。
検事側と弁護側が激しい論争を行い、もしもこの「裁判」がなかったならば知られなかったであろう当時の日本の歴史と、そこに動く人間たちの行動、あるいは対応する諸外国の動きを実に明快に描き出してくれたのだ。
現在、国際法学者の間では、この「裁判」は完全に否定され、不法なものであったということが定着している。裁判に加わった多くの判事も帰国後、裁判の不当性、違法性を証言している。
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寿々喜 景虎
硫黄島の戦いで1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出したアメリカ軍が硫黄島を占領した翌日3月16日、摺鉢山近くの岩山の穴から片足を失った日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチを掲げて出て来てこう言いました。
「司令官はいないか。穴の中にはまだ有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため、世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてほしい」と言いました。
この少佐に引見した第五艦隊レイモンド・スプルーアンス司令官は「お前も部下達も助けてやろう」と言うと、少佐は「サンキュー」と言いながら息を引き取りました。
その後、アメリカ軍は青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れて、穴から出てくるよう何度も勧告しますが、彼らは全く応じずに抵抗を続けました。
5月になっても日本兵達は抵抗を続け、やがて何名かが餓死し、最後に残された者は手榴弾で自決して果てました。
その爆発音でスプルーアンス司令官自身が穴に行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙が置かれていました。
閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早 水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿
戦後、スプルーアンス大将は全米各地を講演して必ず話していたことがありました。
「アメリカの青年達よ。東洋には素晴らしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ」と。
この話はマスコミが報じることがなく、学校でも教えず、ほとんどの日本人が知らない話ですが、日本人の誇りある話として、一人でも多くの日本人の目に触れてもらいたいと思います。