ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。
ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。
GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。
例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。
ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。
ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。
ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。
ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。
ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。
GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。
例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。
ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。
ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。
ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。
ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。
ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。
GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。
例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。
ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。
ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。
ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。
入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。
また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。
更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。
2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。
入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。
また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。
更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。
2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。
入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。
また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。
更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。
2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。
今度は私の番だ。
この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。
最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。
今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。
小川 一成
今度は私の番だ。
この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。
最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。
今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。
小川 一成
今度は私の番だ。
この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。
最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。
今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。
小川 一成
少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。
大学生になった私は、世界へと旅立っていた。
スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。
旅は人を育てる。
そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。
少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。
大学生になった私は、世界へと旅立っていた。
スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。
旅は人を育てる。
そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。
少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。
大学生になった私は、世界へと旅立っていた。
スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。
旅は人を育てる。
そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。
小川 一成と申します。
学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。
このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。
小川 一成と申します。
学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。
このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。
小川 一成と申します。
学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。
このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。