大学2年生の時に1年間休学をし、
ヒッチハイクで世界50カ国以上を旅して歩きました。
当時、日本から海外へ出るにはそれなりの苦労と覚悟が必要でしたが、
世界を見たいという気持ちは抑えられず、周囲の反対を押し切り旅に出たのです。

行く先々で強く心に刻まれたのは、人々の親切でした。
私利私欲にとらわれない姿勢こそが人の心を動かすのだと、
この旅は私に教えてくれました。

それはその後の人生の原点となりました。

スイス、アイガーの山麓に位置するグリンデルワルトの村
学生時代の世界一周で訪れた年の3年後に、右手に見える教会で結婚式を挙げた
ヨーロッパ三大北壁の一つであるアイガー北壁をホテル正面にて
スイスアルプスの名峰、メンヒ山頂にて (標高4,107m)
後方は魔の山アイガー
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の武将の出で立ち
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の歩兵の出で立ち。後方の3層のテントはアカーエフ大統領のテント
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前のお姫様たち
キルギス共和国 千年祭にて
キルギス共和国 千年祭の会場から少し離れた村外れ
キルギス共和国 ついさっきまで草を食んでいた羊肉
キルギス共和国 羊肉を料理 (私の朝食)
キルギス共和国 騎馬レースに向けての練習風景
キルギス共和国 天山山脈の山懐、60km騎馬レースのスタート地点へ向かう
左右は馬道であり馬が歩けるように整備されている
キルギス共和国 千年祭の前夜祭
キルギス特有の民族衣装
キルギス共和国 千年祭
後方に見えるのは6万人の大観衆
6万人の観衆に向かっていざ出陣
天馬の国 キルギス(中央本人)
これらの馬は全て汗血馬。血の汗を流して千里を走る馬。
キルギス共和国 千年祭
会場の周りには、あっという間に6万人のテント村が出現
最高のスイカとメロン 新鮮で甘い
後ろに見えるのは、移動式テント『ユルタ』

大学2年生の時に1年間休学をし、
ヒッチハイクで世界50カ国以上を旅して歩きました。
当時、日本から海外へ出るにはそれなりの苦労と覚悟が必要でしたが、
世界を見たいという気持ちは抑えられず、周囲の反対を押し切り旅に出たのです。

行く先々で強く心に刻まれたのは、人々の親切でした。
私利私欲にとらわれない姿勢こそが人の心を動かすのだと、
この旅は私に教えてくれました。

それはその後の人生の原点となりました。

スイス、アイガーの山麓に位置するグリンデルワルトの村
学生時代の世界一周で訪れた年の3年後に、右手に見える教会で結婚式を挙げた
ヨーロッパ三大北壁の一つであるアイガー北壁をホテル正面にて
スイスアルプスの名峰、メンヒ山頂にて (標高4,107m)
後方は魔の山アイガー
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の武将の出で立ち
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の歩兵の出で立ち。後方の3層のテントはアカーエフ大統領のテント
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前のお姫様たち
キルギス共和国 千年祭にて
キルギス共和国 千年祭の会場から少し離れた村外れ
キルギス共和国 ついさっきまで草を食んでいた羊肉
キルギス共和国 羊肉を料理 (私の朝食)
キルギス共和国 騎馬レースに向けての練習風景
キルギス共和国 天山山脈の山懐、60km騎馬レースのスタート地点へ向かう
左右は馬道であり馬が歩けるように整備されている
キルギス共和国 千年祭の前夜祭
キルギス特有の民族衣装
キルギス共和国 千年祭
後方に見えるのは6万人の大観衆
6万人の観衆に向かっていざ出陣
天馬の国 キルギス(中央本人)
これらの馬は全て汗血馬。血の汗を流して千里を走る馬。
キルギス共和国 千年祭
会場の周りには、あっという間に6万人のテント村が出現
最高のスイカとメロン 新鮮で甘い
後ろに見えるのは、移動式テント『ユルタ』

大学2年生の時に1年間休学をし、
ヒッチハイクで世界50カ国以上を旅して歩きました。
当時、日本から海外へ出るにはそれなりの苦労と覚悟が必要でしたが、
世界を見たいという気持ちは抑えられず、周囲の反対を押し切り旅に出たのです。

行く先々で強く心に刻まれたのは、人々の親切でした。
私利私欲にとらわれない姿勢こそが人の心を動かすのだと、
この旅は私に教えてくれました。

それはその後の人生の原点となりました。

スイス、アイガーの山麓に位置するグリンデルワルトの村
学生時代の世界一周で訪れた年の3年後に、右手に見える教会で結婚式を挙げた
ヨーロッパ三大北壁の一つであるアイガー北壁をホテル正面にて
スイスアルプスの名峰、メンヒ山頂にて (標高4,107m)
後方は魔の山アイガー
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の武将の出で立ち
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前の歩兵の出で立ち。後方の3層のテントはアカーエフ大統領のテント
キルギス共和国 千年祭にて
1,000年前のお姫様たち
キルギス共和国 千年祭にて
キルギス共和国 千年祭の会場から少し離れた村外れ
キルギス共和国 ついさっきまで草を食んでいた羊肉
キルギス共和国 羊肉を料理 (私の朝食)
キルギス共和国 騎馬レースに向けての練習風景
キルギス共和国 天山山脈の山懐、60km騎馬レースのスタート地点へ向かう
左右は馬道であり馬が歩けるように整備されている
キルギス共和国 千年祭の前夜祭
キルギス特有の民族衣装
キルギス共和国 千年祭
後方に見えるのは6万人の大観衆
6万人の観衆に向かっていざ出陣
天馬の国 キルギス(中央本人)
これらの馬は全て汗血馬。血の汗を流して千里を走る馬。
キルギス共和国 千年祭
会場の周りには、あっという間に6万人のテント村が出現
最高のスイカとメロン 新鮮で甘い
後ろに見えるのは、移動式テント『ユルタ』
ブータン王国
ブータン王国 2番目の都市『パロ』を山の中腹から望む
山あいに囲まれたブータン王国の空の玄関口『パロ空港』
ワンチェック国王はここから日本へ飛び立った
3100mの断崖絶壁に建てられた『タクツァン僧院』
タクツァンとは「虎のねぐら」を意味する
タクツァン僧院に架かる祈りの旗『ルンタ』
『ルンタ』は5色の祈祷旗
5色は青・白・赤・緑・黄の順であり、それぞれ天・風・火・水・地を意味する
『パロ・ゾン』 パロ地方の行政府兼寺院
プナカの高校生がiPadに興味津々
プナカは1955年に首都がティンプーに移されるまでは、ブータン王国の首都であった
ワンチェック国王ご夫妻の写真を掲額するところ
ブータン王国 最古のゾン『シムトカ・ゾン』現在は学校になっている
『ゾン』とは城壁と寺院を兼ねたものであり、中には行政の役割も担う
ブータン王国
ブータン王国 2番目の都市『パロ』を山の中腹から望む
山あいに囲まれたブータン王国の空の玄関口『パロ空港』
ワンチェック国王はここから日本へ飛び立った
3100mの断崖絶壁に建てられた『タクツァン僧院』
タクツァンとは「虎のねぐら」を意味する
タクツァン僧院に架かる祈りの旗『ルンタ』
『ルンタ』は5色の祈祷旗
5色は青・白・赤・緑・黄の順であり、それぞれ天・風・火・水・地を意味する
『パロ・ゾン』 パロ地方の行政府兼寺院
プナカの高校生がiPadに興味津々
プナカは1955年に首都がティンプーに移されるまでは、ブータン王国の首都であった
ワンチェック国王ご夫妻の写真を掲額するところ
ブータン王国 最古のゾン『シムトカ・ゾン』現在は学校になっている
『ゾン』とは城壁と寺院を兼ねたものであり、中には行政の役割も担う
ブータン王国
ブータン王国 2番目の都市『パロ』を山の中腹から望む
山あいに囲まれたブータン王国の空の玄関口『パロ空港』
ワンチェック国王はここから日本へ飛び立った
3100mの断崖絶壁に建てられた『タクツァン僧院』
タクツァンとは「虎のねぐら」を意味する
タクツァン僧院に架かる祈りの旗『ルンタ』
『ルンタ』は5色の祈祷旗
5色は青・白・赤・緑・黄の順であり、それぞれ天・風・火・水・地を意味する
『パロ・ゾン』 パロ地方の行政府兼寺院
プナカの高校生がiPadに興味津々
プナカは1955年に首都がティンプーに移されるまでは、ブータン王国の首都であった
ワンチェック国王ご夫妻の写真を掲額するところ
ブータン王国 最古のゾン『シムトカ・ゾン』現在は学校になっている
『ゾン』とは城壁と寺院を兼ねたものであり、中には行政の役割も担う

20年間、政治の世界に身を置いてきた私の心に、
政治を学問の切り口で学びたいという気持ちが芽生え始めました。
同時に『師となる人物に出逢いたい』という想いもあり、
62歳にして再び入学試験にチャレンジいたしました。

試験内容は論文と面接。
論文のテーマは「これまで何を学び、この大学院でどう展開したいか」。
主題として、最も印象に残っている『阪神淡路大震災での学び』を取り上げ、
現地でのボランティア活動の経験から痛感したことを、論文に書きました。

 

20年間、政治の世界に身を置いてきた私の心に、
政治を学問の切り口で学びたいという気持ちが芽生え始めました。
同時に『師となる人物に出逢いたい』という想いもあり、
62歳にして再び入学試験にチャレンジいたしました。

試験内容は論文と面接。
論文のテーマは「これまで何を学び、この大学院でどう展開したいか」。
主題として、最も印象に残っている『阪神淡路大震災での学び』を取り上げ、
現地でのボランティア活動の経験から痛感したことを、論文に書きました。

 

20年間、政治の世界に身を置いてきた私の心に、
政治を学問の切り口で学びたいという気持ちが芽生え始めました。
同時に『師となる人物に出逢いたい』という想いもあり、
62歳にして再び入学試験にチャレンジいたしました。

試験内容は論文と面接。
論文のテーマは「これまで何を学び、この大学院でどう展開したいか」。
主題として、最も印象に残っている『阪神淡路大震災での学び』を取り上げ、
現地でのボランティア活動の経験から痛感したことを、論文に書きました。

 

ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。

ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。

GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。

例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。

ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。

ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。

ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。

ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。

ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。

GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。

例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。

ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。

ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。

ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。

ワンチェック国王ご夫妻が日本を訪れていた頃、
私はブータン王国へと旅立ち、
現地で出会った人々のお話や生活の様子を見聞して来ました。

ブータン王国は『国民総幸福量(GNH)』を国家の指標として打ち出し,
世界から注目を集めています。

GDPで見ればブータンは世界最貧国ですが、貧しさは少しも感じられません。

例えば住居は『あばら家』のようなものを勝手に想像していましたが、
実際には、二階建て・三階建ての木造で、柱の一本一本が立派です。
何故、このような立派な家が建つのか疑問に思い尋ねると、
柱などの材料の一部は国が補助をしてくれるとの事で、
さらには、村中の人々がお互いに手伝い、助け合いながら家を建てている。
という答えが返ってきました。

ブータンには、 日本のような物質的な豊かさはどこにも見当たりません。
しかし、「あなたは今、幸せですか?」と尋ねると、
子どもから大人まで「私は幸せです」と仰います。

ここで目にした風景は、
『今日より明日、明日より明後日』と希望を抱き、
一心不乱に国づくりに取り組んでいた
かつての日本の姿を思い起こさせました。

ブータン王国で過ごした日々と、彼らの自信に満ちた表情を
私は忘れることができません。

入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。

また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。

更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。

2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。



入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。

また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。

更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。

2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。



入学の後、大学院では公共政策を専攻。
最初の1年はTXの学割定期を利用し、週に5日通いました。
授業は、学生から社会人、県会議員や県庁職員、国の行政機関職員など、
様々な立場の生徒がテーブルを囲んで議論をします。
議論に答えはありません。
それを如何に論理的に組み立て論じるかが授業の評価となります。
時には先生さえも知り得ない方向に議論が進むこともあり、
毎日が『白熱授業』でした。

また、尊敬すべき素晴らしい人物にも出逢うことができました。
私の恩師である青山やすし先生は、東京都副知事を務めた経歴をお持ちです。
物事の本質を見抜く洞察力、チームを良い方向へ導く指導力、そして人間性など
大きな影響を受けました。
大学院で最も人気の高い『青山ゼミ』で学べたことを誇りに感じます。

更には学問を通じた世代間の交流やゼミ合宿など、
期待以上の充実した大学院生活を送ることができました。

2011年9月。 大学院での2年間の勉強を終え、無事に卒業いたしました。



今度は私の番だ。

この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。

最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。

今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。

 

小川 一成

 

今度は私の番だ。

この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。

最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。

今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。

 

小川 一成

 

今度は私の番だ。

この旅での経験が原動力となり、
守谷市に『国際交流協会』や
『茨城県青年海外協力隊を育てる会』を創ることに繋がった。
また、政治家になってからはより一層、途上国への支援の輪を広めていった。
今後もこれらの交流や支援は、 私のライフワークとしてあり続けるだろう。

最近はiPadを活用して、 Twitter、FacebookなどのSNSや、
ホームページやブログでも情報発信をしております。

今後の活動も時折こちらのメディアを通じて紹介していきますので、
また皆さまにお越しいただけましたら幸いです。

 

小川 一成

 

編集後記

少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。


大学生になった私は、世界へと旅立っていた。

スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。

旅は人を育てる。

そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。

編集後記

少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。


大学生になった私は、世界へと旅立っていた。

スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。

旅は人を育てる。

そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。

編集後記

少年の頃、冒険家になりたいという夢を抱いていた。
ボーイスカウト活動を通じ、自然に触れ、山を友とすることにより、
やがて、その夢は更に大きく広がった。


大学生になった私は、世界へと旅立っていた。

スウェーデンの片田舎では、旅を続けるために
スーパーマーケットで数ヶ月間働かせて頂いた。
私のような見知らぬ旅人を暖かく迎え入れてくれる寛容さと人間愛に
強く心を打たれた。

旅は人を育てる。

そしてこの旅こそが、その後の人生を決定づける大きな転機となった。

ブログ

 

ブログ

 

ブログ

 

小川 一成と申します。

学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。

このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。

小川一成

小川 一成と申します。

学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。

このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。

小川一成

小川 一成と申します。

学生時代の世界冒険の旅、
中央アジアで開催された60kmに及ぶ騎馬レースへの出場、
スイスアルプス山脈中にそびえる山への登頂など、
これまで私は自分の知らない領域に飛び込み、
貴重な体験をいくつかしてきました。

このサイトでは、そんな体験の一端を紹介したいと思います。
皆さまに少しでも楽しんでいただけたら光栄です。

小川一成

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